2013年11月26日火曜日

「国民の知る権利」についての雑感

以前、何気なくTVを見てたら「特定秘密保護法案」を「治安維持法」になぞらえて
報じていた(「なんちゃらペディア」ってコーナーね)。

治安維持法、かつて多くの人々を謂われない罪に問い、投獄した悪法
であったと言われている。

ご存じの方も多いと思うのだが、ある法案を「治安維持法の再来」と論じられるのは
しばしばある。例えば、平成11年に施行された「犯罪捜査のための通信傍受に関する
法律(通信傍受法)」、「破壊活動防止法(破防法)」が挙げられる。

そのどちらの法令も、その運用によっては国民の権利を阻害するおそれが高いが、
それ故か、概ね適正に運用されている。破壊活動防止法に到っては、あの、多くの
死傷者を出すに至らしめた数々の事件を惹起したオウム真理教(現アーレフ)にさえ
適用されなかったほど厳格に運用されているほどだ。

だが、果たしてこの「特定秘密保護法案」が、そのような厳格な運用を担保し得る
法案なのだろうか、それがこの件に関して論じることを逡巡させていた。

そんな折り、twitterでこんなツイートを見かけた。

三年前のあの事件のことを引き合いに、特定秘密保護法案に対して、
ああだこうだと言う人がいるが、当時、秘密でもなんでもないものを
隠蔽しようとした人たちは今、そのことには何も触れず屁理屈を付けて
反対しているのはどうなんでしょう。反対するなら真面目にしてほしい
(原典:twitter)

投稿したのは一色正春氏、元海上保安官の「sengoku38」氏といったほうが
いいだろうか。氏がツイートで「あの映像」「秘密でもなんでもないもの」と表現した
のは、「国民には知る権利がある」という前提に立ってのことだろう。

だが、あの「秘密でもなんでもないもの」が公開された結果どうなっただろうか。
尖閣諸島の問題が提起され、まず、東京都が尖閣の島を購入しようとした。
その後、当時の民主党政権があの島を国が購入し、国有地化した。
それによって、それまでグレーゾーンだった尖閣諸島海域は日中両国の間の
領土問題として顕在化してしまった。

もちろん尖閣諸島が我が国固有の領土であることに異を唱えるつもりはない。
が、あの海域が日中両国が「互いにあえて触れなかった懸案事項」であって、
「あの映像」公開がその「懸案事項」を「領土問題」として顕在化してしまった
ということは否めないのでは無いだろうか。

確かに基本的に「国民には知る権利がある」
だが、反面、「権利の行使は義務の履行に拠って担保される」ことも我々は
知っているはずだ。
何かを「知る権利を行使する」ということは、その結果に対する「義務を負う」
ことになるのでは無いだろうか。

では、今回の尖閣諸島海域の問題に対して我々国民は何かの「義務を履行する」
ことは可能だろうか、おそらく、何らかの有効な手段を提供することは出来ないはずだ。

「義務の履行」を担保できなければ、「権利の行使」も(ある程度の)制約を受ける。
それは受け入れざるを得ないのではないだろうか。そんなことも思うのだ。

「国家があなた達のために何が出来るかを問うのではなく、あなたが国家のために
何が出来るかを問うて欲しい」
(ジョン・F・ケネディ、1961年の大統領就任演説より)

(なお、ケネディは演説の最後を「私達があなた達に求めることと同じだけの
高い水準の強さと犠牲を私達に求めて欲しい」 と結んでいる)

それでは、また。
















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