視察なされて、そのスタッフ様のおひとりが災害派遣活動中の自衛官をご覧になりながら
「人を殺したいって言って自衛隊になってる人もいるんですかね」
というやや失礼(まあ「礼儀」というものがハナから無ければ「失礼」ということばは成り立たない
訳なんですけどね)なおことばを仰せになられたらしいのですが、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
いま、自衛隊(自衛官)はマスコミも含め、国民に概ね好意的に受け入れられている
のですが、実は昔は残念ながらそこまででもありませんでした。
きょうはその頃のお話を致しましょう。
ぼくが勤務していた30年ほど前、あるいはぼくの先輩方が入隊された40年ほど前、
自衛隊の志願者は地方の次男、三男がかなりの比率を占めていました。
ぼくが部隊に配属されたとき、先輩方から
「何?たじま長男なの?それも名古屋から自衛隊に入ったの?
おまえよっぽどどうしようもない奴だったんだな」
などという容赦無い エールを贈られた ものです(そこまで言わなくてもねえ・・・
実際どちらかというとそういうタイプだけど)。
また当時はソヴィエト連邦解体前、東西冷戦が(細々と)続いていた時期で、
そのせいか、国内の景気がまだ良かったからか、自衛隊(特に陸上自衛隊)は
「万年人手不足」のような状態でした。
たとえば、陸自の定員が18万から16万に削減されるとき、「これは防衛力の
低下につながるのではないか」と質問した記者に防衛庁の広報担当官が
「いまでも15万5千しか充足してなくて16万になってもまだ定員割れなんですが」
と居直るようなぐらい。
そんな状況だからなのかどうかかはわかりませんが、試験を受けて昇任しようという
隊員が少ないような時期もあり、部隊長や先任は昇任希望者を募るにも腐心していた
ようです。たとえば・・・
中隊事務室
「T士長、部外研修に参加しないかね、勤務を休んで研修に行けるぞ」
「(仕事休めるのは魅力だな)ああ、はい」
「よし、じゃあ今度の研修はT士長に行ってもらおう、社会勉強もたいせつだからな」
「了解(よし、たまには羽根を伸ばしてくるか)」
研修当日、夕刻、営内班居室
「ただいまー、あー楽しかった」
「あ、T士長、おかえりなさい」
「ああ、ただいま・・・ん?」
(ベッドの上に見覚えのない徽章が・・・)
中隊事務室
「T士長、入ります。自分のベッドにこの様なものが」
「おお、T士長!候補生指定おめでとう!頑張りなさい!」
「えええっ!?」
というような 「アメリカの軍隊ものコメディ」 みたいなドラマ(暗闘)が
ときに繰り広げられていたらしいですwww
このような時代を経て、自衛隊が現在の市民権を得るに至ったのは、
カンボジアPKOに始まり、イラクやゴラン高原でのPKO、PKF活動、
国内での阪神淡路大震災、東日本大震災に代表される災害支援活動で、
ぼくたちの先輩方、後輩たちの、ときに身命を賭した普段の努力が実った
結果、彼らの汗と(ときに涙の)結晶なのです。
そのような努力を、国民の代表の協力者たちに省みられることがなかったことを、
ぼくは悔しく思います。悲しく思います。
それでは、また。
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