先日twitterにこんなツイートがあった。
軍隊上りが欲しい、なんでも言うことを聞きそう、という人には、こう、なんだ。
士官の死因な、後ろから飛んできた弾、ってのかなりあるんやで、って。
( From twitter:MIBkai )
このツイートを見た時、ふと、昔のことを思い出した。
自衛隊で後期教育(職種教育)が終わって部隊配属になる少し前、上級部隊から
新任の中隊長が着任された。その少し後、ぼくはその中隊へ配属された。
中隊長は防大出身で(中隊長としては)まだ若い(当時36歳でいらしたと思う)
三佐だった。いわゆる「エリート」というタイプだったろう。
ある時、先輩の陸曹が中隊長にやや意地の悪い質問をしたそうだ、
「中隊長、中隊長は戦争になったら、弾は前から飛んでくると思いますか、
それとも後ろから飛んでくると思いますか」。
ひとによっては「何を」と気色ばむような質問だと思う、だが、中隊長は平然と
「中隊長は有事の際、最後方で指揮を執る、したがって弾は 前からしか 飛んでこない」
と言ってのけた。
もちろんウィットでそう答えたのだろうが、ぼくはそのことばに「指揮官たるものはそういう感情
までもまっすぐに受け止めねばならない」 という覚悟のようなものを感じた。
その話を聞いた時、30代なかばにしてそのような覚悟を持っていた中隊長を尊敬し、かつ、
そんな上官のもとで勤務できたことを誇りに思ったものだった。
その中隊長は、着任後3年を待たずに元の勤務地に戻っていった。
陸上自衛隊陸上幕僚監部へ。
自衛隊を退職して一般企業に就職して数年後、ぼくが数名の部下を持つ身となったとき、
あのときの中隊長のことば、そのときの心境を思い描いていた。
そして、それがぼくにとっての僥倖であったことをあらためて知った。
ではまた。
2014年1月25日土曜日
2014年1月6日月曜日
シビリアン・コントロールって・・・
きょう、twitter でこんなツイートを見かけた。
本来、軍隊とは、シビリアンの下僕であるべきなのだが?w
本来、軍隊とは、シビリアンの下僕であるべきなのだが?w
はたして、そうなのだろうか。
そういう言い方をすると、いやが上にも誤解されそうな気がするが、
誤解して欲しくないのは、ぼくは 「文民統制」 という仕組みを否定している
のではない、ということ。
ただ、その理由が 「ミリタリーがシビリアンの下僕である」 から、ということに
疑問を抱いているというのだ。
現在の志願制の自衛隊という仕組みで、「ただ下僕となる」ために優秀な人材が
志願してくるとは考えにくい。「単なるドM」に現代のハイテク兵器が使いこなせる
とも思えない。
ならば「有能」な「ミリオタ」ならばどうだ、といえば、こんどは有事の際、
その優秀な「兵器を濫用したい」という衝動を抑えられるということを担保できない
可能性がある。
だとすれば、「シビリアン絶対優位」 を担保した上で有能かつ理性的な人材を
自衛隊に送るためには徴兵制を復活させ、「有能かつ理性的な」優秀な人材を
自衛隊に優先的に送り込む、というシステムが効率的だろう。
だが、はたして、そんなシステムを我が国の国民が支持するだろうか。
それなら、「シビリアンが上」 とかの序列にこだわることなく、ミリタリーとシビリアンが
相互に信頼、尊重した上で ミリタリーのガバナンスをシビリアンが行なう という
より理想的なシビリアン・コントロールの姿を模索する方がはるかに建設的
ではないだろうか。
「コントロール」 というと、完全にコントローラがコントロール対象の上位に
立っているように感じられるが、現代では、むしろ対象から与えられる情報によって
フィードバック制御を行うという手法のほうが一般的となっている、
その方がコントロールの精度を高められるからだ。
軍事においてもこのようなシステムは、 AEGIS や AWACS 、各国陸軍の
C4Iシステム として既に実用化されている。
そのような先進システムを配備されている国家においては、各機、各艦、各車輌が
「優秀なセンサー」足りうべく機能しなければならないと同時に、コントローラ側も
高性能でなければならない。
「どっちが上」とか硬直的な考え方をしていては優秀なコントローラには成り得ない
と思うのだ。
というお話でした、ではまた。
2014年1月2日木曜日
国際関係についての雑感
皆様、あけましておめでとうございます。
昨年もいろんなことがありましたね、特に師走も押し詰まった折りの
安部首相の靖国神社参拝、首相にも思うところがおありだったのでしょうが、
(ぼくも少し思うところがあるのですが、それはまたの機会に)
その参拝に対してアメリカは異例の 「失望」 という強い表現のステートメント
を出しました。
その後(12月30日)アメリカ国務省は、「近隣国との緊張を高めるような行動を
とったことに失望している」 と改めて指摘したうえで、「意見が異なる場合に互い
に正直に話し合えるのも強いパートナーの証しだ」 とも述べました。
これは先の発言のアフターフォローでしょうか、ぼくには後段の 「意見が異なる場合に
互いに正直に話し合える」 という文脈に意味があるのではないかと思えるのです。
「我々はただの二国間関係よりも更に高いステージにいるのだ。だから、発言の
一部だけに囚われないで欲しい」 というメッセージが込められているように感じるのです。
首相の靖国神社参拝の直後、仲井真沖縄県知事が辺野古埋め立てを受け入れました。
その直後、アメリカ国防総省は時期を失せず好意的なコメントを出しました。
移転前倒し、米国防総省「可能なら喜んで」 辺野古承認(asahi.com)
「日本が工事を加速して代替施設が運用可能になれば、我々は喜んで移る」
(普天間早期移転について、アメリカ国防総省高官)
のみならず、「既に県内での訓練は減らしている。県外訓練を拡大できるか
日本と協議を続けるし、間違いなく可能だと思う」
(オスプレイ訓練の県外分散について、国防総省高官)
また、「普天間が進展し、今後はより大きな日米の戦略的課題に注力できる」
(アメリカ政府高官)
等、日本政府や仲井真知事への 「援護射撃」 ともとれるコメントを時期を失せず
発信しています。
これは 「主張すべきことは主張し、評価すべきことは正当に評価する」 という
姿勢の現れではないかと思うのです。
とか思っていたらこんなニュースが・・・
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140101/plc14010112380006-n1.htm
一個人の見解の表明たる「河野談話」さえ、内容について修正を求めてきた
ようなのです。その河野談話を 「我が国の公式見解」 であるかのように
扱っているのもむべなるかな、自国の見解が反映された談話なら、
評価するのは当たり前でしょうね。
米国も韓国も、どちらも我が国の隣国です。なのにこの温度差は何だろう、
それは60年に渡り日米安全保障条約を締結し、不断に対話を続けてきた成果
ではないだろうかと思うのです。
これはあくまでぼくの私見なのですが、我が国が大東亜戦争に突入したきっかけは
真珠湾攻撃でも仏印進駐でもなく、松岡洋右が国際連盟脱退を表明 したとき、
そして国民がそれを支持したときなのではなかっただろうかと思っています。
それは 「我が国は国際社会の批判を受け入れない」 という意思表明だったと
思うからです。
自国の立場を主張することは正当な権利です、でもそれは 批判を真摯に受け入れる
ことではじめて保証される 権利なのです。
ぼくたちはそれを忘れてはいけない。
年頭にあたり、そんなことを考えました。
それでは、また。
昨年もいろんなことがありましたね、特に師走も押し詰まった折りの
安部首相の靖国神社参拝、首相にも思うところがおありだったのでしょうが、
(ぼくも少し思うところがあるのですが、それはまたの機会に)
その参拝に対してアメリカは異例の 「失望」 という強い表現のステートメント
を出しました。
その後(12月30日)アメリカ国務省は、「近隣国との緊張を高めるような行動を
とったことに失望している」 と改めて指摘したうえで、「意見が異なる場合に互い
に正直に話し合えるのも強いパートナーの証しだ」 とも述べました。
これは先の発言のアフターフォローでしょうか、ぼくには後段の 「意見が異なる場合に
互いに正直に話し合える」 という文脈に意味があるのではないかと思えるのです。
「我々はただの二国間関係よりも更に高いステージにいるのだ。だから、発言の
一部だけに囚われないで欲しい」 というメッセージが込められているように感じるのです。
首相の靖国神社参拝の直後、仲井真沖縄県知事が辺野古埋め立てを受け入れました。
その直後、アメリカ国防総省は時期を失せず好意的なコメントを出しました。
移転前倒し、米国防総省「可能なら喜んで」 辺野古承認(asahi.com)
「日本が工事を加速して代替施設が運用可能になれば、我々は喜んで移る」
(普天間早期移転について、アメリカ国防総省高官)
のみならず、「既に県内での訓練は減らしている。県外訓練を拡大できるか
日本と協議を続けるし、間違いなく可能だと思う」
(オスプレイ訓練の県外分散について、国防総省高官)
また、「普天間が進展し、今後はより大きな日米の戦略的課題に注力できる」
(アメリカ政府高官)
等、日本政府や仲井真知事への 「援護射撃」 ともとれるコメントを時期を失せず
発信しています。
これは 「主張すべきことは主張し、評価すべきことは正当に評価する」 という
姿勢の現れではないかと思うのです。
とか思っていたらこんなニュースが・・・
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140101/plc14010112380006-n1.htm
一個人の見解の表明たる「河野談話」さえ、内容について修正を求めてきた
ようなのです。その河野談話を 「我が国の公式見解」 であるかのように
扱っているのもむべなるかな、自国の見解が反映された談話なら、
評価するのは当たり前でしょうね。
米国も韓国も、どちらも我が国の隣国です。なのにこの温度差は何だろう、
それは60年に渡り日米安全保障条約を締結し、不断に対話を続けてきた成果
ではないだろうかと思うのです。
これはあくまでぼくの私見なのですが、我が国が大東亜戦争に突入したきっかけは
真珠湾攻撃でも仏印進駐でもなく、松岡洋右が国際連盟脱退を表明 したとき、
そして国民がそれを支持したときなのではなかっただろうかと思っています。
それは 「我が国は国際社会の批判を受け入れない」 という意思表明だったと
思うからです。
自国の立場を主張することは正当な権利です、でもそれは 批判を真摯に受け入れる
ことではじめて保証される 権利なのです。
ぼくたちはそれを忘れてはいけない。
年頭にあたり、そんなことを考えました。
それでは、また。
2014年1月1日水曜日
2013年12月4日水曜日
「国民の声を聞け」
twitterでこんなツイートを見かけたよ。
国民の声を聞け~って言ってる連中が
議員定数削減しろという
これ笑うとこ?
From twitter
確かにそう思う。
「確率」 というものを理解できないのか、
それとも、国会議員の仕事が何なのか知らないのか。
そういうと彼らは「いまの選挙は公平な制度として機能していない」という。
よって、「国会議員は国民の声を吸い上げるという機能を果たしていない」と
(ならば何故、山本太郎氏を「機能していない国会議員」にさせたのだ?
とも思うのだが)。
それでは、選挙という多数決の理論で選ばれる手段を否定する
(信頼しない)人たちが、「デモ」という多数派工作のための
手段で、数の論理で主張を通そうとするのはどうなのだ。
選挙という仕組みによらずに数の論理を機能させようとすれば、
それは「暴力的な革命」を志向せざるを得なくなるはずだ、
そんなやり方は、もうとうの昔にカンボジアで失敗しているだろう。
現在の選挙制度に不完全なところがあることは認める、
だが、これは半世紀以上にわたって改善しようとしてきた結果だ、
半世紀以上にわたっても完全なものに出来ないという道程だ。
我々の一票に格差があることも認めよう、だがそれもその問題に
本気で声を上げてこなかった(あるいは他人任せにしてきた)結果だ。
責任の一端は我々にもあるのだ。無いとは言わせない。
ならば何故、この不完全な世界の中で戦わない?
何故そんな 「俺様ルール」で戦おうとする?
まさか、そんな「わがままなこども」のような戦いが、「あえて声を上げない」
静かに思索する人たちに届くと思ってはいないだろう。
国民の声を聞け~って言ってる連中が
議員定数削減しろという
これ笑うとこ?
From twitter
確かにそう思う。
「確率」 というものを理解できないのか、
それとも、国会議員の仕事が何なのか知らないのか。
そういうと彼らは「いまの選挙は公平な制度として機能していない」という。
よって、「国会議員は国民の声を吸い上げるという機能を果たしていない」と
(ならば何故、山本太郎氏を「機能していない国会議員」にさせたのだ?
とも思うのだが)。
それでは、選挙という多数決の理論で選ばれる手段を否定する
(信頼しない)人たちが、「デモ」という多数派工作のための
手段で、数の論理で主張を通そうとするのはどうなのだ。
選挙という仕組みによらずに数の論理を機能させようとすれば、
それは「暴力的な革命」を志向せざるを得なくなるはずだ、
そんなやり方は、もうとうの昔にカンボジアで失敗しているだろう。
現在の選挙制度に不完全なところがあることは認める、
だが、これは半世紀以上にわたって改善しようとしてきた結果だ、
半世紀以上にわたっても完全なものに出来ないという道程だ。
我々の一票に格差があることも認めよう、だがそれもその問題に
本気で声を上げてこなかった(あるいは他人任せにしてきた)結果だ。
責任の一端は我々にもあるのだ。無いとは言わせない。
ならば何故、この不完全な世界の中で戦わない?
何故そんな 「俺様ルール」で戦おうとする?
まさか、そんな「わがままなこども」のような戦いが、「あえて声を上げない」
静かに思索する人たちに届くと思ってはいないだろう。
2013年11月30日土曜日
敵を知り己を知らば
きょう、こんなツイートを見かけた。
「戦争を叫んだり、あるいは、他のヨーロッパ諸国に
抵抗するように説いたようないきのよい政治家も、
実際には誰ひとりとして、フランス軍の現状について
顧慮してはいなかったのである」
――A.J.P.テイラー(フランス革命戦争を評して)
twitter:リアリズムと防衛のBOT
ぼくのブログのタイトル「巧言令色鮮し仁」というのは、
孔子の論語に出てくることばなんだけど、
孫子の兵法にも有名なことばがある。
「敵を知り己を知らば百戦して危うからず」 ということばだ。
これはその後に、「敵を知り己を知らざれば十戦に一勝を得」 と続き、
ここまで来れば既にご想像通り、最後に、
「敵を知らず己を知らざれば一戦とも危うし」 と結ばれる。
うん、「敵情の収集と同じくらい正確な現状認識も必要」 だよね、
なんて漫然と考えてたらこんなニュースが・・・
「中国戦闘機が緊急発進」=防空圏で「日米機確認」と主張-新華社報道
中国が一方的に設定した防空識別圏に空自、米軍ののべ14機(米軍の
偵察機2機と空自のE767、F15等10機の計12機という情報もある)が
中国空軍機がスクランブル発進した、というニュースだ。
仮に発表通り当初12機の軍用機が当該空域に居たとすれば、
P3、EP3、E767の非武装の偵察機、電子戦機に、1機あたり3機、
合計9機の制空戦闘機が護衛に付いた、という見方があり、
それ自体は特に問題とは思われない。なにしろ件の 防空識別圏 には
我が国の領空(尖閣諸島上空)も含まれている のだから。
ただ、これを「相手の見方」 に立って見ると、若干意味合いが変わってくるのだ。
ご承知の通り、我が国も中国も防空レーダー網が整備されている。
したがって哨戒飛行をせずとも領空に侵入しようとする航空機を(ある程度)探知できる。
しかも現代のレーダーは極めて高性能であり、飛来する機体の高度、速度、機種まで
レーダースクリーンに表示される。
今回も、こちらの機種、機数は事前に察知されていた であろう。
ただし、その様に高性能な防空レーダーシステムにも限界はある。
例えば、飛来する戦闘機がF15であることは識別できるが、
それが 制空戦闘機のF15Jなのか、戦闘爆撃機のF15Eなのかの特定はできない
(あくまで「特定できない」ということだ、事前に収集したデータによって予測は出来るだろう)。
また、F15J戦闘機だと特定できたとしても、それが自衛用の対空兵装であるのか、
爆撃用の対地兵装であるのか、という段階はレーダーではとても識別できないだろう。
「要撃戦闘機であるF15Jに対地攻撃をさせるなどナンセンスだ」 という意見もあるだろう。
ぼくも同意見だ、何ら誘導機能の無い通常爆弾を、爆撃計算機能を持たない ほぼ純粋に
制空戦闘に特化されたF15J に搭載して爆撃をさせるなど 正気の沙汰ではないとさえ
思っている。
ただ、これは 我々の見方 だ、相手の立場に立てば、自国の領土を絶対に防衛するという
任務を持っている以上、ほぼゼロの可能性でも対応せざるを得ない。ましてや、今回の
ように強大な空域管制能力を持つE767機が随伴している となれば、その可能性も
相対的に増大してくる。
したがって、偵察の意味でも戦闘機部隊をスクランブル発進させて確認せざるを得ない。
そうして、ひとつの 空域に彼我双方の戦闘機が混在する 状況となれば、否応にも
相応の緊張状態が現出する。今回中国側が何機の要撃機を出してきたかは不明だが、
中国側発表の12機とこちら側の情報の14機が正確だとすれば、その差の2機は
「増援の戦闘機」 だろう、ということは当初の 想定より以上の緊張状態が生まれた
ことは想像に難くない。
今回の飛行計画は 「状況分析のための偵察的なオペレーション」 だったのだろう。
であれば、3機の偵察機に9機の護衛戦闘機という編成は 脅威的に過ぎる のでは
なかっただろうか。ご承知の通り、E767は強大な空域管制能力を有している。
ならば、該当空域に進入する護衛戦闘機は4機程度に止め、その代わりに空域外に
増援とする戦闘機を予め(訓練名目で)哨戒飛行させておく、というプランは無かったか。
そういう戦術的な拙さは無かっただろうか、もしそういう側面があったのならば、
それは 準備不足 に起因するものではなかったか。
今回、米軍の偵察機に米軍の戦闘機は随伴していない。だとすればそれは
「偶発的な武力衝突にエスカレートさせない」 ための非常にコントロールされた措置
だと思う。さらにそれは、米軍と航空自衛隊が高度な連携能力、強固な信頼関係を
有している という証明となり、それは 日米安保条約が有効に機能している ということの
裏付けであるという、明確なメッセージともなり得る。
であるとするならば、今回のオペレーションは単なる挑発行為ではなく、それだけ重要な
メッセージを込めたいわば プレゼンテーション だったはずなのだ。それならば、いや、
であればこそ、事前に周到な準備をするべきでは無かっただろうか。
敵(潜在的な脅威)を知ることは重要だ。だが、己を知る(省みる)ことも同じだけ
重要だと思うのだ。 「敵を知り己を知らざる」ことは、徒に勝ち目を下げる こととなる。
などと考えていたら、アメリカは、今回の中国側のスクランブル発進については
一切触れていない(ということは、否定も肯定もしていない )、日本政府は公式に
否定 した 。この3ヶ国の温度差は何を意味しているのだろう。
なんだろう、いやな胸騒ぎがする・・・
「戦争を叫んだり、あるいは、他のヨーロッパ諸国に
抵抗するように説いたようないきのよい政治家も、
実際には誰ひとりとして、フランス軍の現状について
顧慮してはいなかったのである」
――A.J.P.テイラー(フランス革命戦争を評して)
twitter:リアリズムと防衛のBOT
ぼくのブログのタイトル「巧言令色鮮し仁」というのは、
孔子の論語に出てくることばなんだけど、
孫子の兵法にも有名なことばがある。
「敵を知り己を知らば百戦して危うからず」 ということばだ。
これはその後に、「敵を知り己を知らざれば十戦に一勝を得」 と続き、
ここまで来れば既にご想像通り、最後に、
「敵を知らず己を知らざれば一戦とも危うし」 と結ばれる。
うん、「敵情の収集と同じくらい正確な現状認識も必要」 だよね、
なんて漫然と考えてたらこんなニュースが・・・
「中国戦闘機が緊急発進」=防空圏で「日米機確認」と主張-新華社報道
中国が一方的に設定した防空識別圏に空自、米軍ののべ14機(米軍の
偵察機2機と空自のE767、F15等10機の計12機という情報もある)が
中国空軍機がスクランブル発進した、というニュースだ。
仮に発表通り当初12機の軍用機が当該空域に居たとすれば、
P3、EP3、E767の非武装の偵察機、電子戦機に、1機あたり3機、
合計9機の制空戦闘機が護衛に付いた、という見方があり、
それ自体は特に問題とは思われない。なにしろ件の 防空識別圏 には
我が国の領空(尖閣諸島上空)も含まれている のだから。
ただ、これを「相手の見方」 に立って見ると、若干意味合いが変わってくるのだ。
ご承知の通り、我が国も中国も防空レーダー網が整備されている。
したがって哨戒飛行をせずとも領空に侵入しようとする航空機を(ある程度)探知できる。
しかも現代のレーダーは極めて高性能であり、飛来する機体の高度、速度、機種まで
レーダースクリーンに表示される。
今回も、こちらの機種、機数は事前に察知されていた であろう。
ただし、その様に高性能な防空レーダーシステムにも限界はある。
例えば、飛来する戦闘機がF15であることは識別できるが、
それが 制空戦闘機のF15Jなのか、戦闘爆撃機のF15Eなのかの特定はできない
(あくまで「特定できない」ということだ、事前に収集したデータによって予測は出来るだろう)。
また、F15J戦闘機だと特定できたとしても、それが自衛用の対空兵装であるのか、
爆撃用の対地兵装であるのか、という段階はレーダーではとても識別できないだろう。
「要撃戦闘機であるF15Jに対地攻撃をさせるなどナンセンスだ」 という意見もあるだろう。
ぼくも同意見だ、何ら誘導機能の無い通常爆弾を、爆撃計算機能を持たない ほぼ純粋に
制空戦闘に特化されたF15J に搭載して爆撃をさせるなど 正気の沙汰ではないとさえ
思っている。
ただ、これは 我々の見方 だ、相手の立場に立てば、自国の領土を絶対に防衛するという
任務を持っている以上、ほぼゼロの可能性でも対応せざるを得ない。ましてや、今回の
ように強大な空域管制能力を持つE767機が随伴している となれば、その可能性も
相対的に増大してくる。
したがって、偵察の意味でも戦闘機部隊をスクランブル発進させて確認せざるを得ない。
そうして、ひとつの 空域に彼我双方の戦闘機が混在する 状況となれば、否応にも
相応の緊張状態が現出する。今回中国側が何機の要撃機を出してきたかは不明だが、
中国側発表の12機とこちら側の情報の14機が正確だとすれば、その差の2機は
「増援の戦闘機」 だろう、ということは当初の 想定より以上の緊張状態が生まれた
ことは想像に難くない。
今回の飛行計画は 「状況分析のための偵察的なオペレーション」 だったのだろう。
であれば、3機の偵察機に9機の護衛戦闘機という編成は 脅威的に過ぎる のでは
なかっただろうか。ご承知の通り、E767は強大な空域管制能力を有している。
ならば、該当空域に進入する護衛戦闘機は4機程度に止め、その代わりに空域外に
増援とする戦闘機を予め(訓練名目で)哨戒飛行させておく、というプランは無かったか。
そういう戦術的な拙さは無かっただろうか、もしそういう側面があったのならば、
それは 準備不足 に起因するものではなかったか。
今回、米軍の偵察機に米軍の戦闘機は随伴していない。だとすればそれは
「偶発的な武力衝突にエスカレートさせない」 ための非常にコントロールされた措置
だと思う。さらにそれは、米軍と航空自衛隊が高度な連携能力、強固な信頼関係を
有している という証明となり、それは 日米安保条約が有効に機能している ということの
裏付けであるという、明確なメッセージともなり得る。
であるとするならば、今回のオペレーションは単なる挑発行為ではなく、それだけ重要な
メッセージを込めたいわば プレゼンテーション だったはずなのだ。それならば、いや、
であればこそ、事前に周到な準備をするべきでは無かっただろうか。
敵(潜在的な脅威)を知ることは重要だ。だが、己を知る(省みる)ことも同じだけ
重要だと思うのだ。 「敵を知り己を知らざる」ことは、徒に勝ち目を下げる こととなる。
などと考えていたら、アメリカは、今回の中国側のスクランブル発進については
一切触れていない(ということは、否定も肯定もしていない )、日本政府は公式に
否定 した 。この3ヶ国の温度差は何を意味しているのだろう。
なんだろう、いやな胸騒ぎがする・・・
2013年11月26日火曜日
「国民の知る権利」についての雑感
以前、何気なくTVを見てたら「特定秘密保護法案」を「治安維持法」になぞらえて
報じていた(「なんちゃらペディア」ってコーナーね)。
治安維持法、かつて多くの人々を謂われない罪に問い、投獄した悪法
であったと言われている。
ご存じの方も多いと思うのだが、ある法案を「治安維持法の再来」と論じられるのは
しばしばある。例えば、平成11年に施行された「犯罪捜査のための通信傍受に関する
法律(通信傍受法)」、「破壊活動防止法(破防法)」が挙げられる。
そのどちらの法令も、その運用によっては国民の権利を阻害するおそれが高いが、
それ故か、概ね適正に運用されている。破壊活動防止法に到っては、あの、多くの
死傷者を出すに至らしめた数々の事件を惹起したオウム真理教(現アーレフ)にさえ
適用されなかったほど厳格に運用されているほどだ。
だが、果たしてこの「特定秘密保護法案」が、そのような厳格な運用を担保し得る
法案なのだろうか、それがこの件に関して論じることを逡巡させていた。
そんな折り、twitterでこんなツイートを見かけた。
三年前のあの事件のことを引き合いに、特定秘密保護法案に対して、
ああだこうだと言う人がいるが、当時、秘密でもなんでもないものを
隠蔽しようとした人たちは今、そのことには何も触れず屁理屈を付けて
反対しているのはどうなんでしょう。反対するなら真面目にしてほしい
(原典:twitter)
投稿したのは一色正春氏、元海上保安官の「sengoku38」氏といったほうが
いいだろうか。氏がツイートで「あの映像」を「秘密でもなんでもないもの」と表現した
のは、「国民には知る権利がある」という前提に立ってのことだろう。
だが、あの「秘密でもなんでもないもの」が公開された結果どうなっただろうか。
尖閣諸島の問題が提起され、まず、東京都が尖閣の島を購入しようとした。
その後、当時の民主党政権があの島を国が購入し、国有地化した。
それによって、それまでグレーゾーンだった尖閣諸島海域は日中両国の間の
領土問題として顕在化してしまった。
もちろん尖閣諸島が我が国固有の領土であることに異を唱えるつもりはない。
が、あの海域が日中両国が「互いにあえて触れなかった懸案事項」であって、
「あの映像」公開がその「懸案事項」を「領土問題」として顕在化してしまった
ということは否めないのでは無いだろうか。
確かに基本的に「国民には知る権利がある」。
だが、反面、「権利の行使は義務の履行に拠って担保される」ことも我々は
知っているはずだ。
何かを「知る権利を行使する」ということは、その結果に対する「義務を負う」
ことになるのでは無いだろうか。
では、今回の尖閣諸島海域の問題に対して我々国民は何かの「義務を履行する」
ことは可能だろうか、おそらく、何らかの有効な手段を提供することは出来ないはずだ。
「義務の履行」を担保できなければ、「権利の行使」も(ある程度の)制約を受ける。
それは受け入れざるを得ないのではないだろうか。そんなことも思うのだ。
「国家があなた達のために何が出来るかを問うのではなく、あなたが国家のために
何が出来るかを問うて欲しい」
(ジョン・F・ケネディ、1961年の大統領就任演説より)
(なお、ケネディは演説の最後を「私達があなた達に求めることと同じだけの
高い水準の強さと犠牲を私達に求めて欲しい」 と結んでいる)
それでは、また。
報じていた(「なんちゃらペディア」ってコーナーね)。
治安維持法、かつて多くの人々を謂われない罪に問い、投獄した悪法
であったと言われている。
ご存じの方も多いと思うのだが、ある法案を「治安維持法の再来」と論じられるのは
しばしばある。例えば、平成11年に施行された「犯罪捜査のための通信傍受に関する
法律(通信傍受法)」、「破壊活動防止法(破防法)」が挙げられる。
そのどちらの法令も、その運用によっては国民の権利を阻害するおそれが高いが、
それ故か、概ね適正に運用されている。破壊活動防止法に到っては、あの、多くの
死傷者を出すに至らしめた数々の事件を惹起したオウム真理教(現アーレフ)にさえ
適用されなかったほど厳格に運用されているほどだ。
だが、果たしてこの「特定秘密保護法案」が、そのような厳格な運用を担保し得る
法案なのだろうか、それがこの件に関して論じることを逡巡させていた。
そんな折り、twitterでこんなツイートを見かけた。
三年前のあの事件のことを引き合いに、特定秘密保護法案に対して、
ああだこうだと言う人がいるが、当時、秘密でもなんでもないものを
隠蔽しようとした人たちは今、そのことには何も触れず屁理屈を付けて
反対しているのはどうなんでしょう。反対するなら真面目にしてほしい
(原典:twitter)
投稿したのは一色正春氏、元海上保安官の「sengoku38」氏といったほうが
いいだろうか。氏がツイートで「あの映像」を「秘密でもなんでもないもの」と表現した
のは、「国民には知る権利がある」という前提に立ってのことだろう。
だが、あの「秘密でもなんでもないもの」が公開された結果どうなっただろうか。
尖閣諸島の問題が提起され、まず、東京都が尖閣の島を購入しようとした。
その後、当時の民主党政権があの島を国が購入し、国有地化した。
それによって、それまでグレーゾーンだった尖閣諸島海域は日中両国の間の
領土問題として顕在化してしまった。
もちろん尖閣諸島が我が国固有の領土であることに異を唱えるつもりはない。
が、あの海域が日中両国が「互いにあえて触れなかった懸案事項」であって、
「あの映像」公開がその「懸案事項」を「領土問題」として顕在化してしまった
ということは否めないのでは無いだろうか。
確かに基本的に「国民には知る権利がある」。
だが、反面、「権利の行使は義務の履行に拠って担保される」ことも我々は
知っているはずだ。
何かを「知る権利を行使する」ということは、その結果に対する「義務を負う」
ことになるのでは無いだろうか。
では、今回の尖閣諸島海域の問題に対して我々国民は何かの「義務を履行する」
ことは可能だろうか、おそらく、何らかの有効な手段を提供することは出来ないはずだ。
「義務の履行」を担保できなければ、「権利の行使」も(ある程度の)制約を受ける。
それは受け入れざるを得ないのではないだろうか。そんなことも思うのだ。
「国家があなた達のために何が出来るかを問うのではなく、あなたが国家のために
何が出来るかを問うて欲しい」
(ジョン・F・ケネディ、1961年の大統領就任演説より)
(なお、ケネディは演説の最後を「私達があなた達に求めることと同じだけの
高い水準の強さと犠牲を私達に求めて欲しい」 と結んでいる)
それでは、また。
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