2014年1月2日木曜日

国際関係についての雑感

皆様、あけましておめでとうございます。

昨年もいろんなことがありましたね、特に師走も押し詰まった折りの
安部首相の靖国神社参拝、首相にも思うところがおありだったのでしょうが、
(ぼくも少し思うところがあるのですが、それはまたの機会に)
その参拝に対してアメリカは異例の 「失望」 という強い表現のステートメント
を出しました。

その後(12月30日)アメリカ国務省は、「近隣国との緊張を高めるような行動を
とったことに失望している」 と改めて指摘したうえで、「意見が異なる場合に互い
正直に話し合えるのも強いパートナーの証しだ」 とも述べました。

これは先の発言のアフターフォローでしょうか、ぼくには後段の 「意見が異なる場合に
互いに正直に話し合える」 という文脈に意味があるのではないかと思えるのです。

「我々はただの二国間関係よりも更に高いステージにいるのだ。だから、発言の
一部だけに囚われないで欲しい」  というメッセージが込められているように感じるのです。

首相の靖国神社参拝の直後、仲井真沖縄県知事が辺野古埋め立てを受け入れました。
その直後、アメリカ国防総省は時期を失せず好意的なコメントを出しました。

移転前倒し、米国防総省「可能なら喜んで」 辺野古承認(asahi.com)

「日本が工事を加速して代替施設が運用可能になれば、我々は喜んで移る」
(普天間早期移転について、アメリカ国防総省高官)

のみならず、「既に県内での訓練は減らしている。県外訓練を拡大できるか
日本と協議を続けるし、間違いなく可能だと思う」
(オスプレイ訓練の県外分散について、国防総省高官)

また、「普天間が進展し、今後はより大きな日米の戦略的課題に注力できる」
(アメリカ政府高官)

等、日本政府や仲井真知事への 「援護射撃」 ともとれるコメントを時期を失せず
発信しています。

これは 「主張すべきことは主張し、評価すべきことは正当に評価する」 という
姿勢の現れではないかと思うのです。

とか思っていたらこんなニュースが・・・

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140101/plc14010112380006-n1.htm

一個人の見解の表明たる「河野談話」さえ、内容について修正を求めてきた
ようなのです。その河野談話を 「我が国の公式見解」 であるかのように
扱っているのもむべなるかな、自国の見解が反映された談話なら、
評価するのは当たり前でしょうね。

米国も韓国も、どちらも我が国の隣国です。なのにこの温度差は何だろう、
それは60年に渡り日米安全保障条約を締結し、不断に対話を続けてきた成果
ではないだろうかと思うのです。

これはあくまでぼくの私見なのですが、我が国が大東亜戦争に突入したきっかけは
真珠湾攻撃でも仏印進駐でもなく、松岡洋右が国際連盟脱退を表明 したとき、
そして国民がそれを支持したときなのではなかっただろうかと思っています。
それは 「我が国は国際社会の批判を受け入れない」 という意思表明だったと
思うからです。

自国の立場を主張することは正当な権利です、でもそれは 批判を真摯に受け入れる
ことではじめて保証される 権利なのです。

ぼくたちはそれを忘れてはいけない。

年頭にあたり、そんなことを考えました。

それでは、また。


















0 件のコメント:

コメントを投稿