2014年1月25日土曜日

上に立つ、ということ

先日twitterにこんなツイートがあった。

軍隊上りが欲しい、なんでも言うことを聞きそう、という人には、こう、なんだ。
士官の死因な、後ろから飛んできた弾、ってのかなりあるんやで、って。
( From twitter:MIBkai )

このツイートを見た時、ふと、昔のことを思い出した。
自衛隊で後期教育(職種教育)が終わって部隊配属になる少し前、上級部隊から
新任の中隊長が着任された。その少し後、ぼくはその中隊へ配属された。

中隊長は防大出身で(中隊長としては)まだ若い(当時36歳でいらしたと思う)
三佐だった。いわゆる「エリート」というタイプだったろう。

ある時、先輩の陸曹が中隊長にやや意地の悪い質問をしたそうだ、
「中隊長、中隊長は戦争になったら、弾は前から飛んでくると思いますか、
それとも後ろから飛んでくると思いますか」

ひとによっては「何を」と気色ばむような質問だと思う、だが、中隊長は平然と
「中隊長は有事の際、最後方で指揮を執る、したがって弾は 前からしか 飛んでこない」
と言ってのけた。

もちろんウィットでそう答えたのだろうが、ぼくはそのことばに「指揮官たるものはそういう感情
までもまっすぐに受け止めねばならない」 という覚悟のようなものを感じた。
その話を聞いた時、30代なかばにしてそのような覚悟を持っていた中隊長を尊敬し、かつ、
そんな上官のもとで勤務できたことを誇りに思ったものだった。

その中隊長は、着任後3年を待たずに元の勤務地に戻っていった。
陸上自衛隊陸上幕僚監部へ。

自衛隊を退職して一般企業に就職して数年後、ぼくが数名の部下を持つ身となったとき、
あのときの中隊長のことば、そのときの心境を思い描いていた。
そして、それがぼくにとっての僥倖であったことをあらためて知った。

ではまた。



2014年1月6日月曜日

シビリアン・コントロールって・・・

きょう、twitter でこんなツイートを見かけた。

本来、軍隊とは、シビリアンの下僕であるべきなのだが?w

はたして、そうなのだろうか。
そういう言い方をすると、いやが上にも誤解されそうな気がするが、
誤解して欲しくないのは、ぼくは 「文民統制」 という仕組みを否定している
のではない、ということ。

ただ、その理由が 「ミリタリーがシビリアンの下僕である」 から、ということに
疑問を抱いているというのだ。

現在の志願制の自衛隊という仕組みで、「ただ下僕となる」ために優秀な人材が
志願してくるとは考えにくい。「単なるドM」に現代のハイテク兵器が使いこなせる
とも思えない。

ならば「有能」な「ミリオタ」ならばどうだ、といえば、こんどは有事の際、
その優秀な「兵器を濫用したい」という衝動を抑えられるということを担保できない
可能性がある。

だとすれば、「シビリアン絶対優位」 を担保した上で有能かつ理性的な人材を
自衛隊に送るためには徴兵制を復活させ、「有能かつ理性的な」優秀な人材を
自衛隊に優先的に送り込む、というシステムが効率的だろう。

だが、はたして、そんなシステムを我が国の国民が支持するだろうか。

それなら、「シビリアンが上」 とかの序列にこだわることなく、ミリタリーとシビリアンが
相互に信頼、尊重した上で ミリタリーのガバナンスをシビリアンが行なう という
より理想的なシビリアン・コントロールの姿を模索する方がはるかに建設的
ではないだろうか。

「コントロール」 というと、完全にコントローラがコントロール対象の上位に
立っているように感じられるが、現代では、むしろ対象から与えられる情報によって
フィードバック制御を行うという手法のほうが一般的となっている、
その方がコントロールの精度を高められるからだ。

軍事においてもこのようなシステムは、  AEGIS AWACS 、各国陸軍の
C4Iシステム として既に実用化されている。

そのような先進システムを配備されている国家においては、各機、各艦、各車輌が
「優秀なセンサー」足りうべく機能しなければならないと同時に、コントローラ側も
高性能でなければならない。

「どっちが上」とか硬直的な考え方をしていては優秀なコントローラには成り得ない
と思うのだ。

というお話でした、ではまた。





2014年1月2日木曜日

国際関係についての雑感

皆様、あけましておめでとうございます。

昨年もいろんなことがありましたね、特に師走も押し詰まった折りの
安部首相の靖国神社参拝、首相にも思うところがおありだったのでしょうが、
(ぼくも少し思うところがあるのですが、それはまたの機会に)
その参拝に対してアメリカは異例の 「失望」 という強い表現のステートメント
を出しました。

その後(12月30日)アメリカ国務省は、「近隣国との緊張を高めるような行動を
とったことに失望している」 と改めて指摘したうえで、「意見が異なる場合に互い
正直に話し合えるのも強いパートナーの証しだ」 とも述べました。

これは先の発言のアフターフォローでしょうか、ぼくには後段の 「意見が異なる場合に
互いに正直に話し合える」 という文脈に意味があるのではないかと思えるのです。

「我々はただの二国間関係よりも更に高いステージにいるのだ。だから、発言の
一部だけに囚われないで欲しい」  というメッセージが込められているように感じるのです。

首相の靖国神社参拝の直後、仲井真沖縄県知事が辺野古埋め立てを受け入れました。
その直後、アメリカ国防総省は時期を失せず好意的なコメントを出しました。

移転前倒し、米国防総省「可能なら喜んで」 辺野古承認(asahi.com)

「日本が工事を加速して代替施設が運用可能になれば、我々は喜んで移る」
(普天間早期移転について、アメリカ国防総省高官)

のみならず、「既に県内での訓練は減らしている。県外訓練を拡大できるか
日本と協議を続けるし、間違いなく可能だと思う」
(オスプレイ訓練の県外分散について、国防総省高官)

また、「普天間が進展し、今後はより大きな日米の戦略的課題に注力できる」
(アメリカ政府高官)

等、日本政府や仲井真知事への 「援護射撃」 ともとれるコメントを時期を失せず
発信しています。

これは 「主張すべきことは主張し、評価すべきことは正当に評価する」 という
姿勢の現れではないかと思うのです。

とか思っていたらこんなニュースが・・・

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140101/plc14010112380006-n1.htm

一個人の見解の表明たる「河野談話」さえ、内容について修正を求めてきた
ようなのです。その河野談話を 「我が国の公式見解」 であるかのように
扱っているのもむべなるかな、自国の見解が反映された談話なら、
評価するのは当たり前でしょうね。

米国も韓国も、どちらも我が国の隣国です。なのにこの温度差は何だろう、
それは60年に渡り日米安全保障条約を締結し、不断に対話を続けてきた成果
ではないだろうかと思うのです。

これはあくまでぼくの私見なのですが、我が国が大東亜戦争に突入したきっかけは
真珠湾攻撃でも仏印進駐でもなく、松岡洋右が国際連盟脱退を表明 したとき、
そして国民がそれを支持したときなのではなかっただろうかと思っています。
それは 「我が国は国際社会の批判を受け入れない」 という意思表明だったと
思うからです。

自国の立場を主張することは正当な権利です、でもそれは 批判を真摯に受け入れる
ことではじめて保証される 権利なのです。

ぼくたちはそれを忘れてはいけない。

年頭にあたり、そんなことを考えました。

それでは、また。


















2014年1月1日水曜日

新年のごあいさつ m(_ _;)m

謹んで、新年のお慶びを申し上げます。


ことしの抱負は、

もっと更新する です、

本年もよろしくお願い致しますm(_ _;)m