2016年1月1日金曜日

あれから71年目の新年に寄せて

twitterでこんな言葉を見かけた。

「三年前(講和)条約ができれば、日本にとって今日にくらべよほど
悪条件のものができたろう。今日われわれは勝者の敗者に対する
平和条約を作ろうとしているのではない。友邦として条約を考えている」
J.ダレス(米国務長官。講和条約締結時)

かつてぼくたちの国は自らの過ちからいちど灰燼に帰した。

そして7年の混乱を経てアメリカと講和条約を結び、ふたたび
世界の一員として迎えてもらった。

かつての敵国が7年で「友邦」として講話し、その後現在に至るまで
アメリカは日本の最大の友邦でいる。

それは自然に行われたことじゃなく、日米双方の努力によって
初めて成し得たことなんじゃないかと思う。

ぼくたちはそれを銘じておくべきじゃないか、
戦後71年目の新年を迎えて、そんな気がしている。

では、また。


2015年10月19日月曜日

この国

こんなツイートがあった。

自国の歴史の汚点に対して、どうしようもない嫌悪感を抱きながら、
それでも愛着を捨てられないというのに共感する。
無謬の日本でないと愛せない、自国の歴史の汚点を知れば、
子供たちも決して日本を愛せないだろう、という発想は、
幼稚としか言いようがない。
(原典:twitter)

同意を覚えた。

ぼくは、この国の過去にも、現在にも瑕疵はあると思っている。
それは、かつて不完全であって、かつ、現在においても不完全だ、
と言い換えてもいいだろう。

この、かつて不完全であり、そして今もなお不完全なこの国は、
この国と同じように不完全なぼくを形作ってくれた。

ぼくはそのことに感謝をしているし、ぼくを形作ってくれたこの国が
永らえることを望んでいる。

それがぼくの愛国心というものかもしれない。

もちろん、不完全なぼくは、この国にも、この国の仕組みにも、
そしてぼく自身にも満足をしていない。
人間というものはおおよそそういうものなのだろう。

ただ、その原因をこの国やこの国の仕組みにのみ荷担することは
適切ではない、そう思っているんだ。

では、また。

2015年8月15日土曜日

あの日から70年

むかし、こんな歌があった。

海ゆかば 水漬く屍

山ゆかば 草生す屍

おおきみの 辺にこそ 死なめ

顧みはせじ

正直言って、ぼくはあまり好きな歌じゃない。

でも、この歌の中にぼくたちへの問いかけが含まれてるんじゃないか、
そんな気がするんだ。

最後の「顧みはせじ」、そこにかつての日本、そして日本人の欠落があった、
そんな気がするんだ。

でも反面、いまのぼくたちは違うと胸を張って言えるだろうか、
そういう危惧も感じる。

ぼくたちはもう「顧みる」ことができるだろうか、
右とか左とか、そんなこと関係なく、過去を、過去の過ちを、
何のフィルターを掛けることもなく顧みることができるだろうか、
そんな危惧を、ふと感じることがあるんだ。

みんなはどう思う?

では、また。


2014年11月25日火曜日

しあわせについて

ある方がSNSで幸福について投稿していた。
それをきっかけに、「しあわせ」についてちょっと考えた。

ぼくは、ひとは一度この世に生を受ければ、
その生を全うする権利がある、そう思っていた。
でもそれは、権利であると同時に義務でもある、
そう思うようになってきていた。

母を失ってからは、特に強く思うようになってきた。
ぼくは、ぼくの生き様が、母の幸福を奪ってしまったのでは
なかったか、ぼくがもっと懸命に生きれば、母はもっと幸福な
人生をもっと長くおくれたのではなかったか、
そんな自責の念から今でも逃れることができない。

正直、何度か「命を絶とう」と思ったこともある。
自分の背負ったものから逃れるために、あるいは、
母への謝罪のために。

それを踏みとどまったのは、たぶん、「生き延びたい」、あるいは
「こんな形で人生を終えたくない」 という生への執着、いわば
エゴだったのだろうと思う。

でも反面それは、それが亡き母への務めであったのではないか、
ともすこし思う。

自らの子が死ぬことを願う母は、この世にはおおよそ居ないだろう、
ならば、ぼくが死を選ぶことは母への裏切りではないか。
そう思って、この世の縁にしがみついている、そんな部分もいまの
ぼくにはある。

ぼくだけではなく、多くの人たちがそんな思いを抱いて生を全うしている
のではないだろうか。ならば、ぼくだけがそれから逃れることは卑怯だ、
そんな気もする。少なくとも、そんな人間として自分の人生を終えたくない。
それもまたエゴかもしれないけれど。

これまで生きてきて、ぼくを憎んでいる人たちは少なからず居るだろう。
ぼくにも、少しはそんな人が居るから。
同様に、ぼくに「生きてて欲しい」、あるいは「死ぬことはないんじゃない?」
と思う人たちも居るだろう。
ぼくにもそんな人たちが居る、ぼくが憎む人よりもっとたくさん
(客観的に見たら、そのこと自体も幸福なことなんだろうね)。

ぼくは、そんな人たちに「なにか」を与えてあげたいと思う
(ぼくが好まざる人たちがそれを受け取ってしまうことには この際目をつむる)、
ぼくも、その人たちに「なにか」を与えてもらっているから。
そうやって生きているから、たぶん、ぼくだけではなく、みんなが。

でも、そうやって突き詰めていくと、生きていくのはときに
なかなかしんどい ものがある。

ならば、そんな義務があるというなら、見返りを求めたっていいんじゃないか。
それが、幸福という 「自分へのプレゼント」 なんじゃないか、そんなことも思うんだ。
もちろん、それを貪欲に求めるあまり、他者のその権利をいたずらに侵害するのは
よくないとは思うけれど。ただ、ある程度は許容されてもいいんじゃないか、
そんな気がする。

という訳で、結論。

ひとはすべからく幸福を求める権利がある。
ただ、それを誰かに与えることも惜しんじゃいけない。
お互い様なんだから。


あー、なんかちょっとすっきりしたかな、
ではまた。





2014年8月25日月曜日

「ステルスってほんとうに要るの?」についての考察

昨日twitterでこんなツイートを見掛けたんだけど。

飛行機は格闘戦してナンボ系オタちょっと来い
(J-10の旋回性能その他、水平面機動がSu-27と
タメ張るという話が 
From twitter


Su-27



J-10

ジェット戦闘機にとってのドッグ・ファイトというのは、「戦艦の白兵戦」みたいなもんなんです。
つまり、他に方法が無いから万策尽きて止むを得ずやる、ということ。
もちろん、生き延びるためにはその能力は必要なのだけれど、
それがかなりのウエイトを占めるようなものではありません。

戦艦にとって火力が重要なように、ジェット戦闘機に要求されるのは敵よりも速く
(その方が安全だから)敵を攻撃できる能力なんですよね。

まあ、そんなことを言わなくても、単発のJ-10戦闘機と双発の大型戦闘機である
Su-27が総合性能で互角である、とはにわかに信じられませんし(^_^;)

とまあ、こういう話なんですが、これって、ステルス戦闘機についての議論に似てない?
とか思ったんですよ。

「ステルス」というのも、敵より速く攻撃することを突き詰めた結果生まれたテクノロジー。
敵に探知されにくいのなら、敵よりも速く攻撃できる可能性が高くなる、
それはジェット戦闘機にとって大きな優位性を持つということですからね。

もちろんステルス機は非常に高価なものだから、そこまでの装備が必要か、
というひとも出てくるでしょうね。

そういう考え方を持っている方のために、すこし卑近な例を挙げてみましょう。
誰でもやったことがあるだろう 「かくれんぼ」 の話です、
たとえば5人でかくれんぼをしたとします。オニがひとりで残りの4人は隠れる側、
そのとき、オニと隠れる側はどちらがきついか、たぶんオニの方がきついですよね。
「かくれんぼ」の場合、隠れる側が全部見つかればオニは交代します。
では、たとえば「オニは5回連続でオニ」というルールだったらどうなるでしょう。
ほとんどの人はそんな 「耐久かくれんぼ」 、やりたくないですよね。

回りくどい言い方で恐縮ですが、「敵がステルス機を保有してこちらは持っていない」
という状況は、いわばこの 「耐久かくれんぼ」 なんですよ。
味方は徐々に疲弊して、消耗していく可能性が高い。

「パイロットの練度が高ければ、従来機でもステルス機に対抗できる」 というひとも
いるでしょうね。
でもそれは突き詰めていくと「竹槍でB29を落とす」みたいな精神論になっちゃうんです。
極端な言い方かもしれないけど、「なら自分がやってみたら?」って話。

たぶん、ほとんどの人は出来ないですよね?ぼくだってもちろん出来ません。
だから、結果的に「出来る人に自らの運命を託す」ことになる。
それは「出来る人が生き延びる」ことが(ある程度)「自分が生き延びる」ということ
につながることを意味するんです。

警察官や消防官を例にとればわかりやすいかもしれません。
ぼくたちは、彼らの存在がぼくたちの安全に直結していることを理解しています。
だから、彼らに理解を示すし、可能な限り、防犯、防火に協力する。

消防官の装備が充実し安全性が高まることに、異を唱えるひとはあまりいません。
それが過剰なものだと非難する人はあまり聞きませんね。
それは、彼らの安全を高めることが、回りまわって自らの安全を高めることを理解している
からです。

でも何故か、自衛官に対してはそういう割合が下がってしまう、本質は同じなのにね。
そこには何らかのバイアスがかかっている、そんなことを考えたことはありませんか?

太平洋戦争末期、日本はB29が巡航する高度で長時間行動できる防空戦闘機を十分
持っていなかった。
それが都市部に住む非戦闘員にどんな結果をもたらしたか、ぼくたちは記憶しているでしょう。

「この平和な日本でそんな戦争は起きない」 と思うかもしれませんね。
十分な外交能力があれば、そんなことにはならない、と。
実際、ぼくも心からそう願ってます。

でも、外交能力には情報収集能力、情報分析能力も含まれるんです。
そして、このふたつの能力は「むしろ戦前より劣っている」と言わざるを得ない。
体制(組織)が戦前よりプアであることを考えれば、そう考える方が妥当でしょう。

「むしろ、その能力を伸ばすべきだ。それこそ平和日本に相応しい」
という人も居るでしょう。ぼくも同感です。でも、それは一朝一夕に
出来ることではありません。どう頑張ったってあと10年、いや20年は
かかるかもしれませんね。ならば、それまでの間は防衛力を整備する
ことが現実的では無いか、と思うんですよ。
防衛費を削減するのはそれからでも遅くは無い、とね。

「防衛力を整備すると周辺諸国を刺激する」 というかもしれませんね。

そういう声が「アジアの一部」からあることはぼくも知っています。
でもその「一部」は「日本の何倍も防衛費を費やしている」し、
その人たちの中には「自国の核心的利益を担保するためには
日本に侵攻することもやむを得ない」とまで言ってる人たちが
居ることもまた知っています。

「治にいて乱を忘れず」 ということばがあります。
ぼくたちは本能的に「乱(外乱)」を嫌悪している、それは自然なことだし、
誰もそれを責めることはできません。
でも、その本能的な嫌悪感が「乱」について考えることを妨げてしまう、
あるいは、それを意識していても、それから目を背けてしまう。
そういう側面があり得ることも覚えておかなければいけないでしょう。

ぼくたちは皆、平和(平穏)を希求しています。
でも、恒久的に平和を保つということはとても難しいことです。
それは、抑止力という危うげなものに依存することも許容しなければ
ならないほど、なのかもしれません。

近代戦において、戦力の3分の1を失うことは敗北を意味する 、という説があります。
そしてその戦力には「兵器の能力」も含まれるのです。

守勢は攻勢より難し 、とも言われます。
守る側は攻める側よりも往々にしてシビアで困難なものなのです。
しかし、我が国は憲法第9条に拠って攻勢に回ることを厳しく戒められています。
とはいえ、この第9条の存在が現在の我が国を築く礎となったことは否めず、
それ故、当面これを堅持していくことは我が国にとって望ましいのでしょう。

不利となる守勢を堅持した上で、なおかつ、敗北しないことを前提とするならば、
相対的に大きな(軍事力を含む)防衛力を目指していくほかはありません。

それは、専守防衛を標榜する我が国にとって、宿命的なものなのです。

防衛力の整備というものは、そういうところまで考えて論じなければいけない
のではないでしょうか。と、ぼくは思うのです。

ちょっと長くなってしまいましたね、お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。

では、また。



2014年6月22日日曜日

「夢の」で終わらせちゃいけないこと

最近、こんなニュースを目にしたんだ、

燃料電池車普及に向け補助金制度導入へ(NHKニュース)

「2025年ごろまでには、現在は1000万円近い価格になるとされる
燃料電池車の販売価格を、ハイブリッド車と同じ水準に引き下げる」

また、

「燃料の水素を供給する水素ステーションの整備を加速するため、
2020年ごろまでに、建設コストを現在の半分程度にできるよう規制緩和を進める」

というお話。素晴らしいよね、CO2を排出しない燃料電池車が普及するなんて。


でも、「いい年をしたおっさん」のぼくとしては、「そううまく行きますか?」って
いう漠然とした不安のようなものがあるのよ。

たとえば、この引き合いに出されたハイブリッド自動車。急速に普及しているよね。
(結果的に)低燃費だし、従来型の内燃機関動力の自動車より排気ガスもクリーンだ。

でも、EV(電気自動車)も同様な価格帯まで降りてきてるんだけど、残念ながら
ハイブリッド車ほどは普及していない。ハイブリッドよりも歴史がある、いわば枯れた
テクノロジーだし、ハイブリッドのように補助動力装置が不要な分だけ有利な
はずなのに。

その理由は言うまでもないと思う、そう、充電ステーションがまだまだ普及しきっていない
からだ。普及しつつあるとはいえ、まだまだガソリンスタンドとは比較すべくもない
レベルなんだよね。

ハイブリッド車の補助動力装置は通常の内燃機関だ、だから、既存のガソリンスタンド
で気軽に給油できる。その気軽さが普及を後押しした。
というより、ハイブリッド自体、既存のインフラ(ガソリンスタンド)を利用してEVを運用
するために生まれたシステム のようなものだから当然の帰結なんだよね。

燃料電池車の普及の障害と成り得るものはEVと本質的に同じ だと思う。
燃料補給のための水素ステーションが普及しなければEVのように「短距離利用のための
コミューター」としての地位しか得られない。メインに使用できる自家用車、「どこにでも行ける
どこでもドア」のような 魅力的なツールとしての地位は望めない んだ。

「使える場所が限られる」というのは普及のための(心理的な)阻害要因になる。
現在PCの需要が落ちていることを考えればイメージしやすいだろう、
クラウド・コンピューティング等の普及で、コンパクトなスマートフォンやタブレットに
PCとほぼ同じことが出来れば情報端端末としてのPCのアドバンテージは無くなってくる、
だから必然的にPCは売れなくなる、というのが現状なんだよね。

燃料電池車の普及ポイントも、この 「どこでも使える」 ということが重要になってくる。

もちろん、「水素ステーションの整備を加速するため、2020年ごろまでに、建設コストを
現在の半分程度にできるよう規制緩和を進める」というような施策も行われるのだが、
現実的に、「はたしてそれで十分か」 ということなんだよね。

ご承知の方も多いと思うけれど、現在、各地のガソリンスタンドは減少しつつある。
それは自家用車の減少やエコカーの増加による売上の減少、という側面もあるのだけれど、
改正消防法への対応や設備老朽化の対策のためのコストを負担できないという側面も
大きいんだよ。そしてたぶん、水素ステーションのときにも繰り返される。
そうなれば「夢の燃料電池車」もまたEVの轍を踏むことになるだろうね。

「じゃ、一体どうすりゃいいのよ?」ということなんだけど、
ここからは 全くの私見 なので「眉に唾をつける」準備をしておいて欲しいんだけど(笑)、

たとえば、燃料電池車の普及は遅れるかもしれないけれど、
PHVの普及に補助金を付けて、ひとまずPHVをハイブリッド車と同じ価格レベルにする 
そうするとどうなるか。ハイブリッド車の発展系に過ぎないPHVを普及させる意味が
どこにあるのか、ということなんだけど、それは、PHV車に出来てハイブリッド車に出来ない
ことに使うためなんだ。 PHVはスマートグリッドの一部として機能できる という
メリットがある。


スマートグリッドが普及すれば住宅用太陽光発電の普及が加速する等内需が拡大する
可能性がある。また、家庭用燃料電池の需要が増加して燃料電池のコストダウン
が図れるかもしれない。
家庭用燃料電池にはコスモ石油のような石油元売り企業も参入している。
家庭用燃料電池の普及は、将来水素ステーションを設置するための支援に使うための
原資を蓄積することに資するかもしれない。

水素ステーション等のインフラを整備するにあたっては民間活力をもって行うのがより健全だ。
だけど、そのためには、そのための 体力をつけておく必要がある だろうと思うんだ。

燃料電池はいわば「夢の新エネルギー」だ、だからたいせつに育んでいくべきだと思う。
「夢の新エネルギー」を「夢」のままで終わらせない ために、「地に足をつけたブレーク
スルー」 を目指していくべきだと思うんだけど、どうかな。

では、また。













2014年1月25日土曜日

上に立つ、ということ

先日twitterにこんなツイートがあった。

軍隊上りが欲しい、なんでも言うことを聞きそう、という人には、こう、なんだ。
士官の死因な、後ろから飛んできた弾、ってのかなりあるんやで、って。
( From twitter:MIBkai )

このツイートを見た時、ふと、昔のことを思い出した。
自衛隊で後期教育(職種教育)が終わって部隊配属になる少し前、上級部隊から
新任の中隊長が着任された。その少し後、ぼくはその中隊へ配属された。

中隊長は防大出身で(中隊長としては)まだ若い(当時36歳でいらしたと思う)
三佐だった。いわゆる「エリート」というタイプだったろう。

ある時、先輩の陸曹が中隊長にやや意地の悪い質問をしたそうだ、
「中隊長、中隊長は戦争になったら、弾は前から飛んでくると思いますか、
それとも後ろから飛んでくると思いますか」

ひとによっては「何を」と気色ばむような質問だと思う、だが、中隊長は平然と
「中隊長は有事の際、最後方で指揮を執る、したがって弾は 前からしか 飛んでこない」
と言ってのけた。

もちろんウィットでそう答えたのだろうが、ぼくはそのことばに「指揮官たるものはそういう感情
までもまっすぐに受け止めねばならない」 という覚悟のようなものを感じた。
その話を聞いた時、30代なかばにしてそのような覚悟を持っていた中隊長を尊敬し、かつ、
そんな上官のもとで勤務できたことを誇りに思ったものだった。

その中隊長は、着任後3年を待たずに元の勤務地に戻っていった。
陸上自衛隊陸上幕僚監部へ。

自衛隊を退職して一般企業に就職して数年後、ぼくが数名の部下を持つ身となったとき、
あのときの中隊長のことば、そのときの心境を思い描いていた。
そして、それがぼくにとっての僥倖であったことをあらためて知った。

ではまた。